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● 四天王寺さんお参りしたら、西へ「一心寺」のとこ下ったら、通天閣の時計が見えますやろ!今、何時? まだ帰るの早いわ。


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推古元年(593年)聖徳太子によって創建された、日本最初の官寺。聖徳太子が曽我氏とともに排仏派の物部氏に勝利し、仏さまに感謝し建てたと言われる。
伽藍配置は、四天王寺様式と呼ばれ、中門・五重塔・金堂・講堂が南北一直線に並ぶ。浄土思想が広まった平安末期から鎌倉時代には、上町の台地にあって、西方向の夕陽の仰望がよく、西門が西方浄土の極楽へ通じるとして、民衆の信仰を集めました。創建当時の建物は残ていませんが、創建当時のままの再建が続けられています。現在の中心伽藍は、昭和38年に再建されたものです。
- 毎月21日
- 「弘法大師」の命日、数多くの屋台や露店が出て賑わう。
- 1月14日
- どやどや 正月14日14:00〜 下帯ひとつの若い衆が、赤と白の「はちまき」と「まわし」をしめた裸の若者達が、「どやどや」と掛け声を掛けながら、護符を奪い合う勇壮な行事です。
- 4月22日
- 聖霊会舞楽法要・無形文化財
聖徳太子の霊を慰めるため、舞楽が石舞台の上で奉納される。
- 2月22日
- 太子2歳まいり
- 3月18〜24日(うるう年は、17〜23)
- 四天王寺彼岸会
- 8月8日
- かがりの舞楽
- 8月9・10日
- 千日まいり
- 8月13〜16日
- 盂蘭盆会
- 11月3日
- 四天王寺ワッソ 広く大陸からの渡来し人・物・文化が取入れられた。特に、当時の百済の、ワッソ=ワッショイの語源と言われる。
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上町台地に風情のある坂道が今も残されています。上町台地を松屋町(マッチャマチ)筋の下寺町へ下る坂道。寺々と神社を縫うように東西に走る坂道は、夕日を見るに絶景かな!です。
寺や神社の名をつけた坂。坂の形からつけられた坂がある。南は一心寺の逢坂から、北は生國魂神社の真言坂まで。南から北へ七坂。逢坂、天神坂、清水坂、愛染坂、口縄坂、源聖寺坂、真言坂
逢坂(おうさか)
四天王寺の西門に通じるゆるやかな坂道は大坂から大和へ通じる要路だった。西門を西へ下ると、一心寺、そして下りきると四辻にでる。ここが文楽に登場する「摂州合邦が辻」である。「合邦が辻閻魔堂」がある。
天神坂(てんじんざか)
真田幸村の戦死の地碑が立つ「安居天神社」北側の坂道。大坂夏の陣では、幸村もこの坂道を・・と思うと一途なこころが、しのばれます。「眞田幸村戦死跡之碑」は、安居神社の境内にあります。
大坂夏の陣で徳川家康の本陣にせまり、幸村は傷を負いますそして、ここで休んでいる時に急襲されて戦死するのです。そこには、老松があって「真田の松」と呼ばれていましたが、大正の末に枯れてしまい、その跡にこの碑が建てられました。
松屋町筋の下寺町へ出ると、バイク通りの単車が並ぶ。直ぐ南が「合邦が辻閻魔堂」
清水坂(きよみずざか)
夕陽丘図書館と星光学院の間の坂で、「愛染坂」と交わるまでの石畳のゆったりとした坂道です。道すがら名前の由来となる「新清水寺」があり、ここには大阪市内唯一の滝があります。「清水寺」は、北・西・南の三方が崖になった高台にあって、それは眺めのいいところ。
京都の清水寺から寛永17年(1640年)に千手観音像を移し、本尊としました。そこで、「新清水」と呼ばれています。清水寺の音羽の滝を真似ていますが、市内唯一の滝として知られ、今も、滝に打たれて修行する人が絶えない。
愛染坂(あいぜんざか)
愛染さんと親しまれる「愛染堂」(勝鬢院・しょうまんいん・のお堂)は、星光学園北側を通る急な坂にある。西側の大江神社境内には、夕陽岡の石碑が建てられ、ここからの夕日の眺めの良さを物語っている。
「宝恵かご」に乗った芸者さんの出る「愛染まつり」は、大阪の風物詩です。
源聖寺坂(げんしょうじさか)
源聖寺の横から生玉寺町に至る狭く曲がった石畳の坂。大相撲大阪場所の時期になれば、さながら力士通りとなります。
口縄坂(くちなわざか)
口縄とは、変わった名前がついている。すぐに覚えてしまいそう!由来は、ゆるい坂道の姿が「蛇(くちなわ・へび)」に見えるから。また、大阪城築城の際「縄打ち口(起点)」であったからとも言う。「十三まいり」の太平寺から松屋町筋に下りる緑深い・しずかな石畳の道。
真言坂(しんごんざか)
生国魂北側にある南北の坂を言う。この坂の周辺に真言宗の生玉十坊があったことから、こう呼ばれました。
「一心寺」は、法然上人が浄土宗の「日想観」の修行をした地で、納骨寺として有名です。境内には有名人のお墓も多く、中でも本多忠朝墓が有名です。この大きな五輪の搭の主は、大酒豪でした。冬の陣で泥酔して不覚をとってしまいます。しかし夏の陣には反省し最前線で大活躍、壮絶な戦死をとげます。ここに葬られて、今、「酒封じの神」として、霊験あらたかなりと言う。意志薄弱なあなたにも効きますよ!

聖徳太子の開基と伝える閻魔堂(西方寺)
浄瑠璃「摂州合邦辻」の舞台となったところ、芝居がかかると、その前に必ず太夫や役者さんたちがお参りされてます。芝居の主人公の「俊徳丸」の難病が治ると言うくだりから病気平癒を祈願して、訪れるひとが絶えない。
最近、虎・とら・Tigarsとファンの秘密の祈願所となっている。

小西来山十萬堂跡
「時雨るるや しぐれぬ中の 一心寺」
「涼しさに四ツ橋を四つ渡りけり」
元禄時代の俳人、小西来山が晩年を過ごした寓居跡。記念碑がある。当時は、くさ原だった動物園や新世界の界隈と一心寺のある高台の光景がしのばれます。
小山来山の墓所は、今宮戎神社の隣り「海泉寺」境内にあり、夫妻と共に眠る。
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