第五回内国勧業博覧会は、明治36年3月〜7月開催された。
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| 博覧会のポスター |
「今宮商業倶楽部」をつぶしてまで博覧会を開きたかったのには、なぜだろうか?天王寺公園の建設計画・難波に匹敵する巨大娯楽場等の開発・阪堺電気軌道のターミナル機能建設プロジェクト・近代的な美術館の建設計画。そして、市民のための娯楽施設の提供等々、大阪南部開発の起爆剤となる、大阪にとっては、一大プロジェクトの成功と跡地利用夢が広がっていった。大阪商人の新しいものへの取組みと産業の発展、それに膨れ上がる大阪の人口に対応していく行政の思惑が一致したのでしょう。市民にとっても、新たな娯楽施設が求められていたのでしょう。
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| 明治36年の会場敷地 |
会場は、約95,000坪以上の広さ、いまの天王寺公園・美術館・茶臼山・天王寺動物園、それに、新世界全体を含めた広大な面積に展開した。正面入口には高さ27mの正門があり、会場内には農業から学術・美術に至るあらゆるパビリオンがあり、18カ国におよぶ諸外国の展示館もあった。
娯楽施設も充実していて、中でも、茶臼山から下るウオーターシュートは、当時としては、目にするのも初めて、観客は沸き返り、我先と乗り場へと急いだとか。また「不思議館」として 電気を利用した幻想的なショーもあった。まだほとんど普及していない冷蔵庫の展示、冷房施設の実体験まであった。
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| ウォーターシュート |
夜には、各パビリオンにイルミネーションをつけて夜景を楽しませた。このイリミネーションは、次の通天閣開業時にもショー・アップ効果として取り入れられ、二代目通天閣の開業時にも、大々的に受け継がれて点灯された。
とにかく、勧業博覧会は大成功であった。5ヵ月の間に530万余人の訪れ、最先端の技術により開発された新製品を始め、いろんな目新しい遊戯具に、人々は驚きで興奮しっぱなしであった。